「私は悪くありません」VS「私の責任です」
自分が悪くてもそれを認めない人もいれば、自分は悪くないのに「私の責任です」と言える人もいる
自分の責任だと言えれば大人なのか?と言うとそうではない
そんなことをしていればありもしない責任を押し付けられることもある。それこそ私のように他人の借金を押し付けられることもある
問題は、それを言えることではなく、その先に何を求めているか?
自分の否を認めない人は単純で、自分の責任にされて責められたくないのだ。
少しでも責任転嫁して他人のせいにしたり環境のせいにすることで自分の責任をとらないことが自分の得になると考えている。これは子供の脳である大脳辺縁系が判断している。
原始的な脳である大脳辺縁系は常に保身最優先
つまり自分さえよければいいのだ
自然界、それも爬虫類など、より原始的な生物の生存本能だ
そのために他者を犠牲にすることを何とも思わない
いろんな理屈をつけて責任転嫁しようとする
この思考が、悪いことをして責められても逆切れする仕組みだ
しかもいい大人になると、その理屈だけはどこからか情報を仕入れてきて、その言い訳で自分の言い分を通せることに快感を感じたりする。
ここまで行くと子供と言うよりバカだと言える
では大人の脳である前頭葉はどう考えるのか?
もちろん「私の責任です」と言えるのだが、その理由は成果を求めるからだ
その場で誰のせいだという話をしているよりは、自分のせいということにしてさっさと話しをすすめて成果を出したいのだ。
もしくは自分の考え方や動き方次第で、他の人の問題もクリアできたのではないか?と考え、次回からはそこに気を付けて成果を出そうと考えるからだ。
大人の考え方は「全ては自己責任」
これは何でも自分のせいにすればよいという事ではなく、自分次第で物事は変えられることが多いのに、責任転嫁していたらまた同じミスを繰り返すだけということを知っているから。
それに対して子供の考え方は「全ては自分以外のせい」
何かしら言いがかりを付けて責任転嫁しようとする。
それがうまくいったら「俺って頭いいな」と自己評価があがる人もいるくらい。
そこまで行くとやはり子供というよりバカだ。
それが通用するのは社会の底辺のみ。相手も同レベルならまだよいが、上位に行くほどそんなことは通用せずにすぐに論破される。そもそも大人はそんな議論さえしない。いくら言い訳しても周囲が見たら誰が悪いかは明らかで周囲の評価は低くなる。裁判してるわけではないから証拠などいらないのだ。そして誰からも信用を失っていく。それでも自分のせいにしないで責任転嫁しようとする。
それは自分への言い訳でもあるのだ
だからその責任転嫁の考えが本当に正しいと自分でも錯覚している
子供は何かうまくいかないと「お母さんのせいだ」とか「○○くんのせいだ」とか言ってしまう。それと同じだ。それが大脳辺縁系の機能
大人の脳は「誰のせいか?」を考えるより「どうしたらうまくいか?」を考えるのだ
いつも「誰のせいか?」を考えてる人と、いつも「どうしたらうまくいくか?」を考えている人、成功する確率が高いのはどちらでしょう?そして大人はどっちを選択するでしょう?
他人のせいで問題が起きるとムカついて責めたくなるが、それは感情の問題。理性で考えたらそこに無駄な時間を使っているわけにはいかないのだ。