大人になる方法

脳科学的に大人を定義し、大人と子供の違いや大人になる方法を書いていく

精神年齢が低い人に巻き込まれやすい大人

子供の脳である大脳辺縁系は、いつも責任転嫁と自己正当化をし続ける

自分の問題点を指摘されたら、他人のせいや、何かのせいにしたり、「人はそんなに変わらない」と、成長しなくても良い理由をテキトーに並べて努力しない自分を正当化する。

やりたいことをやってはすぐに飽きて放り出す
そのせいで他人に迷惑をかけても気にしない
むしろ自分を被害者に仕立てて責任を取らずに済む理由を作ろうとする

他人を攻撃することで自分を正当化するのは最も得意とするところ
それができなければ自然現象にのせいにする
それができなければ「俺はこういう人間だ」と開き直る

一貫してるのは、成長のために変わる努力をしようとしないということ

成長とは上方に変化すること
「変わらない」ということは「成長しない」ということだ

例えば投資で負け続ける人が「人はそんなに変わらない」と言ってそれを続けている限りずっと負け続ける。投資で勝つには何かを変えなくてはいけないのだが、買える努力をしないのでずっと負け続けるような感じ

たちが悪いのは、こういう人は自分が正しいと思い込んでいるし、堂々と間違ったことを正しいかのように主張する

それに対して精神年齢が大人の人は「自分がまちがってるのかな」とか「この人もいいところあるしな」と自分を押し殺して相手に合わせてしまい、結果的にこういういい加減な人のいい加減な行動に巻き込まれて被害者になっていきやすい

成果を出そうとしたり、自分を律しようとしたり、物事を良い方向に持って行こうとたり、そうして相手に合わせて話をまとめようとする

しかし本当に大人ならこういういい加減な人に巻き込まれてはならない
と言いながら私もこれまで散々巻き込まれまくってきたのだが

こういういい加減なやつらは、どんなに間違った事でも自分が正しいという前提のもとで口でごまかす

そこには「もしかしたら」「いいところもある」「以前助けられた」などのように、相手に同情するような余地は一切必要ない。むしろ切り捨てなければならないのだ

屁理屈をこねて自分を正当化しようとするこの手の人の言葉をまともに聞いてはならない。注目するポイントはいくつかある

彼らはその場しのぎで自分の思い通りにしようとする。その場しのぎの目的は何なのか?

どうやって自分を正当化しようとするか
どうやってこちらを攻撃しようとするか
どうやって自然現象のせいにするか
どうやって開き直るか

こんなやつとその場でまともに話を取り合う必要はない
「今日はまず話を聞くだけ聞くよ」というスタンスで言い返す必要もない

こういうやつらは自分の気に入る答えが出てくるまで人に質問してしつこく話すこともある。決して反応してはならない。

「○○は○○でしょ?」

という言葉に対して「うん」とか「うーん」と適当に相槌を打っただけでも、こういうやつらは「同意してくれた」と自分に都合よくとらえるのが特徴だ。だから無反応でいい

できたら録音などして一通り話を聞きだし、後で情報整理してからツッコミどころを考えればいい。相手に反論する必要はない。一番重要なことは、こういういい加減なやつの言葉に巻き込まれて人生を無駄にしないことだから。

だから話を整理して、それに対して自分がどう対処するか?を決めればいいだけなのだ。

いい加減な言葉を言う人はその場の勢いで人を巻き込みやすいが、それに乗らないよう情報整理してYes/Noをハッキリすればいいだけ。

いい人ほどこういうやつらに巻き込まれるので要注意
そもそもこういう人と議論する必要がない

いくら何を話しても自分の考えを曲げないためにいろんな理屈をつけて自分を正当化し、そのためには他人に自分の考えを押し付けるのだ

だから相手にする必要がないし議論する必要がない
答えを導く必要もないし意見を合わせる必要もない

そんなやつは相手にせず自分の考えを持ち続ければいい

マウントをとりたい大脳辺縁系

子供の脳である大脳辺縁系は組織の中で上位にいることを感じて安心を得ようとする
他人を見下し自分は他人より上位にいることに優越感を感じ快感を感じる

 

これが他人に対してマウントを取る心理

 

大人の脳である前頭葉は、それを成果・合理性がないので無駄だと判断する
他人にマウントすることは子供じみた小さな快感でしかない

 

「あの人性格悪い」などと陰口を言われたり、意図的に避けられたり、自分だけのけものにされたり、様々な損失を考えたらマウントがいかに非合理的行為であるか理解できる

 

しかし他人にマウントをとってしまう人はそこまで考えられない

 

一方で大人の脳である前頭葉は成果を求める
他人をマウントしたところで、つまらない快感を多少得る程度で、それに伴う損失の方が大きいことを容易に理解できる

どこまで先のことを考えているか?という予測力の範囲が違うことを意味する
マウントをとる人は今この瞬間に快感を得ることしか考えられない


しかし明日、来週、来月・・・と人生は続き、その行為が後日どのような影響を及ぼす

 

これは予測力が短く、例えば1時間、明日なら24時間、来週なら168時間、来月なら720時間と、予測する範囲がどこまで先か?によって判断が変わる


この予測力の範囲については私は実際データで計測したことがあるので人によって大きく差があることを理解している。

 

他人この話をしてもなかなか信じてもらえないし、最初は自分自身でも信じられなかった。しかし疑り深い私は自分でも信じられないそのデータを何度もとりなおした


予測力は個人によって大きく異なる。それが考える能力の差だ


子供の脳である大脳辺縁系は今この瞬間のことしか考えていない
おもちゃを欲しがる子供は「約束守るからこれ買って」と駄々をこねるが、その約束を守ることはない。せいぜい数日程度だ。子供に限らずいい年下大人でもそんな人はたくさんいる

 

一方で年齢が幼くても精神年齢が高い子供はいる

 

貧しい家庭で育ち親が苦労して自分を育ててくれていることを理解している子供は「いつか自分が稼いで親をラクさせてやろう」と考え、10年、20年先までの長期的な計画を具体的に立てて実行・実現していくのだ。その場しのぎの計画では根本的解決にならないことを身をもって学んでいる


予測力と精神年齢が比例していることが少しでも理解して頂けるだろうか
そして他人にマウントをとる人の精神年齢が低いだけでなく、考える能力が低く予測範囲が狭いということでもある

これはマウントという行為から、日常生活や仕事においてどの程度の能力を持っているかを計る指標にもなる

思い通りにならないと怒る脳の仕組み

幼稚な人は自分の思い通りにならないと怒りやすい
比較的男性の方が顕著に表れる

「思い通り」とは予測・期待と現実が合致すること
特に人に対しての予測・期待が合致しないときに人は怒りやすい

人に対する期待値が高いから

人に予測・期待・計画・目標など現在より先のことを考えている

・こいつを論破してやろう
・この後は○○しなきゃ
・昼飯は何食べようか
・今夜は○○ってテレビ見よう
・次の週末はどこに行こうか
・この調子だと月末に間に合わないな
・来年の今頃にはこうなってるはず
・数年後にはこうしよう
・10年以内にこうなろう

人は多かれ少なかれ常に未来のことを考えている
人に言ってもなかなか信じてもらえないが、どのくらい先まで考えているかは驚くほど個人差があった。
明日の事さえ考えていない人もいれば常に数十年先の事を考えている人もいる

そして大人の脳である前頭葉が動く人は、自分の想定外のことが起きることを前提として考えている
その前頭葉があまり使われず子供の脳である大脳辺縁系が反応する人は、自分の思い通りになることを前提として考えている

大人は自分の思い通りにならないことも含めて前提に物事を考えているが、子供は自分の思い通りになることを前提としている
子供は思考力の範囲が狭い

だから精神年齢が幼いほど思い通りにならないときに怒り出す
ではなぜ怒るのか?

仮説でしかないが生存本能に必要な機能だからだと思う

例えば野生の動物に近づくと逃げるのは危険だと判断するからだ
人間でも「この先に行ったら危険だ」と察知して危険を回避しようとする

脳の機能としては先に「危険だ」と予測し、その予測に基づいて行動を決める
つまり動物は少しでも予測する機能がなければ危険を回避できず生命の維持に大きく影響することになる

そしてライオンなどの肉食動物は、エサとなる動物を見つけると狩りをする
当然相手の動物は逃げようとする

追う側は捕まえて食べようとし、追われる側は逃げて危険を回避しようとする
どちらも物事を自分の思い通りにしようとしている。これも生命維持に必要な機能だ

子供の脳である大脳辺縁系は動物が人類になるずっと前の爬虫類の時代から存在する
人間だけが前頭葉が発達し前頭前野が理性的な判断ができるようになっている

つまり何でも自分の思い通りにしようとする人は大人の脳である前頭葉が動いてない、つまり子供なのだ
子供の脳である大脳辺縁系は予測と現実が合致すれば生命の維持に役立つので喜び、予測と現実が違えば生命の危機につながるので怒りや悲しみを感じる

大人の脳は自分の思い通りにならないことも含めて予測して理性的に対処するが、子供の脳は思い通りにならないと感情的になり泣いたり怒ったりして思い通りになるまで駄々をこねたり、相手を威嚇したり相手に怒りをぶつけたり暴力をふるって自分の思い通りにしようとする

ヤンキーがどうでもいいことで他人に因縁をつけて自分の思い通りにさせるために相手に土下座させるような行為はこのような幼稚なメカニズムからできている

戦うか逃げるか?大人と子供の判断の違い

新入社員に質問する

もし彼女と歩いているときに変な奴に絡まれたらどう対処する?


返答はいろいろあるが大きく分けて三種類


①とりあえず話して説得する
②相手を殴るなどを含めた力ずくで対応
③その場から素早く立ち去る・逃げる


①でダメなら②という人も多い

どう見ても臆病者で現実には③しかできないのに、仮定の話だからと②を選択する若者も多い


もし女性が見たら一番対処して欲しい方法が③が最も多いのではないでしょうか?


しかし精神年齢が低い男性は③を嫌がり②を選択しやすい
一般的に男性より女性の方が精神年齢が高いと言われている。もちろん個別の話ではなく全般的な話


子供の脳である大脳辺縁系は、承認の欲求や自己顕示欲など、自分が上位にいることを相手に分からせたいという幼稚な欲求を優先する


それに対して大人の脳である前頭前野は「成果」を求める。この場合最優先で考えるのは女性の安全。その女性の安全を最も確保できる方法が③なのだ


承認欲求よ自己顕示欲を優先する子供の脳である大脳辺縁系
成果を優先する大人の脳である前頭前野

承認の欲求や自己顕示欲を優先した判断をする幼稚な男性にとって③は自分の負けを認めるような行為が一番とりたくないのだ


大人の脳である前頭前野は、女性の安全を最優先することを成果と判断し、それに最適な行動を選択する。絡んできた相手にあわせて愛想笑いしたり自分が悪くないのはわかっていても「ごめんなさい」と謝りもする

変な奴と関わる必要さえないのだから安全が確保出来るようできるだけ関わらず、さっさとその場から立ち去ればよい


自分が悪くても謝れない子供は②の選択をしやすく、自分を正当化することを優先し、他人に責任転嫁したり、他人を攻撃することで自分を正当化する。

自分が悪くなくても謝る大人は成果を優先する③を選択しやすい
それが成果という実利を手に入れやすいから

専心年齢によって使っている脳の部位が違う


この説明をしても「いやぁ俺は③はできないな」という人も少なくない

幼稚な脳は自分を正当化するので③ができない理由をいろいろ説明してくれるのだがどれもただの屁理屈となる

感情で判断するか
成果を求めるか

大人かどうかはこの判断に差が出る

幼稚な脳を持つ大人が増えた日本

日本の教育は「言われたことをする」が前提
これは「言ってくれる人」がいることが前提の仕組みであり、自分が何をするかを他人が考えてくれる仕組みだ。

だから「どうしたらいいですか?」「言ってくれたらやります」というセリフを聞くことが多い。自分がどうしたらいいのか、誰かに指示されなければ自分で考えることができないのだ


私は「いくらなんでもそんな人あまりいないだろう」と思っていた

しかし今は「ほとんどがそんな人だらけ」「そんな人いるの?という人は自分がそんな人だと気づいてない」と思っている

膨大な量の人に言動をデータ化し、分析してわかったことだが、それでも最初は信じらなかった。しかしその前提で分析対象の次の行動を予測するとほぼすべて予測通りになった。

「そんなこと言われてない」「自分は○○だと思った」「それは自分の仕事ではない」「私はそうは思わない」などいろんなことを言って自分を正当化しようとする人たちがあまりにも多い

大人の脳である前頭前野は成果を出すことを考えてる。しかしそこが機能しない子供はそんなことは考えていない。子供の脳である大脳辺縁系は成果よりは自分の責任回避を優先的に考えている。

自分のせいにされないことが最優先であり、そのための言い訳をたくさん用意している。そしてその言い訳ができる自分のことを頭がいいとさえ錯覚しているのだ


今では考えられないが、昔は家電製品が壊れたら、保証期間が切れていても無料で修理してくれることも当たり前だった。私はいろいろと修理してもらった。

 

顧客に対して過剰サービスする企業があふれ、必要以上に顧客を神様として扱うことが当たり前の時代があった。今でもその名残でクレーマーになる人は少なくない

 

商品を買っていただいたお客様には無料で様々なサービスが提供され、操作方法がわからなければ一つ一つ丁寧に無料で教え、機械にトラブルがあればすぐに駆け付けるなんてことが当たり前の時代だった。

 

つまり以前は企業にワガママを言ってもよろこんで対応してくれた。

「お客様は神様です」蛾当たり前の時代があった。

 

これが日本人を幼稚にする原因になったと思う。

交通事故を起こしたときは自分から謝ってはいけないということもあった(今でもそう?)

 

自分が悪くても非を認めず屁理屈をこねて相手のせいにすれば顧客対応として言う事を聞いてくれる企業が多かった。様々なわがままを無料で対応することが当たり前となり、頭の悪い人は今でもそれをする。その自分のことを「頭がいい」と勘違いするし、間違った屁理屈を押し通しても自分が正しいと錯覚する

 

しかしWindows95の登場とともにパソコンが一気に普及し始めたころ、この日本の顧客サービスの形は崩れていった。

それ以前の家電の感覚を持っている人々は、パソコン操作でわからないことは販売店やメーカーに電話して聞けば無料で教えてくれると思っていたし、パソコンがフリーズして止まってしまったらすぐに駆け付けて対処してくれるのが当たり前だと思っていた。

パソコンを一般家電のように簡単にとらえていた。

 

しかし現実には電話で聞いてもあまり教えてもらえないし、フリーズしてもなかなか対応してもらえず、CTRL+ALT+DELで再起動し、それまでやった作業は消えてしまう。トラブル対処ですぐに来てほしいと言ってもなかなか来てもらえず、やっと来たかと思えば無料どころか高額なサービス料を請求される時代になっていった。

 

私はのこの変化の中で地方でIT企業を立ち上げてパソコン関連機器を企業に販売していたので急激な変化に顧客がついていけない様子を身をもって感じていた。

 

企業が顧客である自分を神様のように扱いワガママを聞いてくれるものと思っていたのに、すっかりそんな時代は終わってしまった。しかし甘え切った考えは抜けず、あらゆるところで自分に都合よく解釈を変えて屁理屈をつけて、自分を正当化する癖を身につけた人が大量に増産されていった。

 

大人の脳である前頭葉が使われず、自分の否を認めず自分を正当化し、他人に責任転嫁することが「頭がいい」とさえ勘違いする幼稚な脳をもつ日本人が増えていった。

原始的な脳である大脳辺縁系で反応する甘えた大人だ

 

結果としてクレーマーは増え、いつも他人に責任転嫁すると人が増え、責任を簡単に放り出して他人に押し付ける人が増えた。



ようこそ、幼稚な大人の生産国、日本へ


昔は日本人独特の美徳とさえ言われた

人に迷惑をかけてはいけない
自分のすることには責任を持たなくてはいけない
他人のせいにしてはいけない

という大人が多かった国が

人に迷惑をかけても何とも思わない
自分のすることに責任はもたない
他人に責任転嫁する

という人が増えていったのだ

ずるくわがままを言った方が得すると思ってせこく姑息な考えを持つ人が増えた

かつて「Japan as No.1」言われ、日本人は世界一優秀だと言われた国家は見事に堕落していき、今では途上国へ転落した?と言われるほど落ちぶれた


とはいえ、平均値で世界的に見たらまだ他の国よりはマシだと思う
しかしこれから先、この国はどうなっていくか?

幼稚な脳を持った大人がどんどん増えていく国になっているのではないか?

しかし若者より既に年をとって大人になったはずの中高年にそういう傾向が強いのではないか?と個人的感覚では思ってしまう

 

年齢的なことは関係なく個人の問題ではあるが、本来いい大人であるはずの年の大人が幼稚になった感覚があるのは私だけだろうか

もしそうだとしたら単なる老害と言える。その年代の人が年老いていなくなればまた正常になるのだろう

過去に日本より先に先進国になったヨーロッパ諸国やアメリカでも同様の問題はあるのだが、既にその時点を乗り越えて今に至り、責任を果たし成果を出そうとする大人の人と、責任転嫁して依存して生きる人では貧富の差が大きくなっている。

世界中の国が遅かれ早かれこれからそういう時代に突入していくだろう

前頭前野を使うものが大人になって勝利し、大脳辺縁系しか使えないものは精神年齢が低いまま依存して生きることになるのだ

「私は悪くありません」VS「私の責任です」

自分が悪くてもそれを認めない人もいれば、自分は悪くないのに「私の責任です」と言える人もいる

 

自分の責任だと言えれば大人なのか?と言うとそうではない

 

そんなことをしていればありもしない責任を押し付けられることもある。それこそ私のように他人の借金を押し付けられることもある

 

問題は、それを言えることではなく、その先に何を求めているか?

 

自分の否を認めない人は単純で、自分の責任にされて責められたくないのだ。

少しでも責任転嫁して他人のせいにしたり環境のせいにすることで自分の責任をとらないことが自分の得になると考えている。これは子供の脳である大脳辺縁系が判断している。

 

原始的な脳である大脳辺縁系は常に保身最優先

つまり自分さえよければいいのだ

自然界、それも爬虫類など、より原始的な生物の生存本能だ

そのために他者を犠牲にすることを何とも思わない

いろんな理屈をつけて責任転嫁しようとする

この思考が、悪いことをして責められても逆切れする仕組みだ

しかもいい大人になると、その理屈だけはどこからか情報を仕入れてきて、その言い訳で自分の言い分を通せることに快感を感じたりする。

ここまで行くと子供と言うよりバカだと言える

 

では大人の脳である前頭葉はどう考えるのか?

もちろん「私の責任です」と言えるのだが、その理由は成果を求めるからだ

 

その場で誰のせいだという話をしているよりは、自分のせいということにしてさっさと話しをすすめて成果を出したいのだ。

 

もしくは自分の考え方や動き方次第で、他の人の問題もクリアできたのではないか?と考え、次回からはそこに気を付けて成果を出そうと考えるからだ。

 

大人の考え方は「全ては自己責任」

 

これは何でも自分のせいにすればよいという事ではなく、自分次第で物事は変えられることが多いのに、責任転嫁していたらまた同じミスを繰り返すだけということを知っているから。

 

それに対して子供の考え方は「全ては自分以外のせい」

 

何かしら言いがかりを付けて責任転嫁しようとする。

それがうまくいったら「俺って頭いいな」と自己評価があがる人もいるくらい。

 

そこまで行くとやはり子供というよりバカだ。

 

それが通用するのは社会の底辺のみ。相手も同レベルならまだよいが、上位に行くほどそんなことは通用せずにすぐに論破される。そもそも大人はそんな議論さえしない。いくら言い訳しても周囲が見たら誰が悪いかは明らかで周囲の評価は低くなる。裁判してるわけではないから証拠などいらないのだ。そして誰からも信用を失っていく。それでも自分のせいにしないで責任転嫁しようとする。

 

それは自分への言い訳でもあるのだ

だからその責任転嫁の考えが本当に正しいと自分でも錯覚している

 

子供は何かうまくいかないと「お母さんのせいだ」とか「○○くんのせいだ」とか言ってしまう。それと同じだ。それが大脳辺縁系の機能

 

大人の脳は「誰のせいか?」を考えるより「どうしたらうまくいか?」を考えるのだ

 

いつも「誰のせいか?」を考えてる人と、いつも「どうしたらうまくいくか?」を考えている人、成功する確率が高いのはどちらでしょう?そして大人はどっちを選択するでしょう?

他人のせいで問題が起きるとムカついて責めたくなるが、それは感情の問題。理性で考えたらそこに無駄な時間を使っているわけにはいかないのだ。

 

 

 

 

 

「その仕事私にさせて下さい」VS「ラクした方が得」

子供のころテレビを見ていて「その仕事、私にさせて下さい」という感じのセリフを見て違和感を感じた。

 

なんで自分から面倒なことしようとするんだろう

 

給料が同じならラクした方がいい。だったら自分からめんどくさい仕事を引き受けようとする理由がわからなかった

 

同じ給与で、より仕事量が少ない方が得ではないか?

 

それが大人になってから意味が理解できた。

もちろん世の中にはそのセリフを言う人、そう思う人はたくさんいる。

一方でいい大人になってもそれが全く理解できない人もたくさんいる。

 

子供の脳である大脳辺縁系はとても怠け者。それは原始的な動物を観察すればよくわかる。

 

大脳辺縁系は爬虫類にもある。

例えばワニを思い浮かべてもらいたい。

 

動物園で見てもテレビで野生のワニを見ても、動きが遅く止まっているように見える

しかし目の前に獲物が現れたときだけはとても素早い動きをするのだ

 

子供の脳の大脳辺縁系はとにかくにめんどくさいことを嫌がる

理由は余計なことをすると命の危険があるから

 

食べたことがないものを食べたら死んでしまうかもしれない

知らない茂みの中に行ったら自分より強い敵が現れて死ぬかもしれない

余計なことをすると自分の生命にかかわってしまう。何もしない方がいい

 

だから余計なことをせず現状維持が好き

これが怠け者の正体なのだ

 

現状維持が大好きで、面倒なことは大嫌い

欲望に素直で人のことなどどうでもいい

しかしいい人ぶって他人を騙すことはある

 

そんな人からは「その仕事私にさせて下さい」というセリフは出てこない

とにかくラクが好きだし、ズルいことが好き

「どうせ給料が同じならラクした方が得」と考えるのだ

工場の単純労働者にはそういう人が多い

 

一方で大人の脳である前頭葉が動く人は成果を求める

だから「その仕事私にさせて下さい」というセリフがとっさに出てくる

自分の力で成果を出し、その先のいろんなチャンスを掴みたいのだ

 

子供の脳である大脳辺縁系で反応する人はその先のチャンスを自分が作ることは想定していない。どこからか降ってくるものだと考えている

一方で大人の脳である前頭葉で考える人は、自分で自らチャンスを作り出すことを考えている。だからこそその手段である「その仕事私にさせて下さい」というセリフが出てくる。

 

自分も含めて周囲の人がどっちのタイプか、どちらの脳が反応しやすいタイプかを見比べてみると面白いよ